あふれ出した涙

まど



今回の選挙も、何事もなかったようにやり過ごそうと思ってた。
テレビを見ても、新聞を読んでも、周囲で話題に上がっても、適当に聞き流すつもりだった。

でも、さっき、高校時代からの在日コリアンの友人がWebに書いていた日記を読んでたら、思いっきり共感してしまい、ずっと押さえ込んでた感情がわっと一気に溢れてきてしまった。それと一緒に、これまで忘れ去ったつもりだった昔の思い出が、またよみがえってきてしまった。


いいや。書いてしまおう。


私がまだ小学6年生だった頃の話です。


お夕飯が終わって、ほっと一息ついたころ、その日近所で起きたちょっとした事件や、学校であった出来事を話すのが、我が家の習慣だった。例えば......。


「明日算数で分度器とコンパス使うみたいなんだけど、どこだっけ」と妹。
「いっつもその辺にほっぽらかしとくから失くすんだよ。知らないよ。」と母。

「散歩の時、またアロン(当時飼ってた犬)が道端のティッシュ食べて困ったよ」と私。
「あいつはバカだからな」と父。
どこにでもありそうな、平凡な家族の対話。


そんなある日。いつもの何気ない夕飯後の団欒で、今でも、そしてこれからも、ずっと忘れられないだろう事が起きたんだ。


その日は社会科の授業の報告をしていた。日本国憲法を習い始めたばかりの時期だったと思う。


「パパ、日本国憲法の3大原則って何だ?」と私。
「忘れた」父はつっけんどんに答える。
「教えてあげるね。国民主権、平和主義、それから、基本的人権の尊重だよ」
 習ったばかりで得意げな私。
「パパには関係ないね」茶化して父が答える。
「じゃあ、次。選挙権がもらえるのは何歳でしょう?」
 父に期待していた答えは、もちろん、 
「20歳」だった。 


 しかしその時、父の口からは意外な答えが返ってきた。しばらくの沈黙の後、父は、ゆっくりと口を開き、
「もらえない」と言った。
「違うよ。20歳だよ〜」私は、いつもの父の冗談だと思って正解を教える。
「いや、もらえないんだよ。おまえは。」父の目は笑ってなかった。

その時明かされた、事実。
「お前は、日本人じゃないから20歳になっても、選挙権はもらえない。日本で生まれ育っても、パパとママが中国人だから、お前も中国人。中国人は日本人でもない、国民でもないから、選挙権はもらえないんだよ」


私の目にみるみる涙が溢れてきた。母はあらどうしましょうという顔をし、妹はよくわからないといった風にその場を静観していた。


 急に悲しくなって、でも何となく言われてることはわかって、えんえん泣きながら口に出した一言を、今ではとっても後悔している。
「パパとママがいけないんだ。パパとママが私を生んだからいけないんだ。パパとママが中国人じゃなければみんなと一緒だったんだ。みんなと同じがいい。同じにしてよ」
 むちゃくちゃ言っているのはわかってたけど、その時わたしがせいいっぱい考えて、行き着いた答えは、「自分に選挙権がないのはパパとママのせい」ということだった。


母はため息をついて、
「ママは悲しいな」と言った。父は、戦争時代にさかのぼって、自分たちだってたくさん苦労があったこと、もっと辛い経験があったことなんかを語りだした。


私には歴史なんてどうでもいいことだった。みんなに与えられるものが、自分だけもらえないということが、ただ、悔しかった。


そのまま部屋に戻り、ごめんなさいも言わないままベッドにもぐりこんで泣いていた。
泣きながら、さっきまでの出来事を振り返り、ふと思った。私には、きっと、これからも、みんなにはあって、自分にはないものや、みんなにはできて、じぶんにはできないことや、みんなが苦労しないのに、自分だけ苦労することが、たくさんたくさん起きるんだ。そして、どうにかしてと言ったって、どうにもならないことの方が多くて。自分だけ我慢するしかない。自分だけほかを探すしかない。自分だけなんとかやりすごすしかない。自分だけ笑ってごまかすしかないんだ。想像しただけで、ぞっとした。


たくさん泣いて、考えて、気づいたら眠ってしまっていた。
それから、どんな風に次の日を迎えたのか、翌日の食後の団欒をどう過ごしたのかは覚えていない。


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あれから10年以上は経ったかな。
選挙については、いつのまにか、極力無関心を装って、気にしていないふりをしようと努めるようになっていた。
「選挙もう行った?」なんて同僚からの問いかけに
「まだ。ていうか、外人だから選挙権ないんだ。実は。ジェラルミンの箱にいれるんでしょ?憧れなのよねー。でも、選挙権もらってもきっと締め切りとかあること苦手だし。多分行き忘れちゃったりするんだろうな」なんて答えてたんだ。


でも。さっき、在日コリアンの友人の日記を読んで、”みんな”の中に入らない”私たち”が世の中にはたくさんたくさんいることにちょっとだけ安心して、今日くらいは正直になろうと決めた。


本当は、めちゃくちゃ気になってしかたなかった。実は日曜日もテレビの即日開票の報告をずっと聞いてたし、みのもんたの朝の特番もじっくり3時間近く見ちゃったし、日経新聞の朝刊だって隅々までチェックした。
本当は、選挙話でいろんな人と盛り上がりたかった。11日の選挙に行ってみたかった。
本当は、この数日間、輪の中からほっぽりだされたようで、とってもさみしかった。